今日は。
フォルデとフランツの母親の命日で、朝の城内に二人の姿はなかった。
「もう……そんな時期か」
上階から墓地のある方角を眺めて、カイルは小さく言葉を漏らした。
(今年も…滅入っているのだろうか…)
瞬間的に、一際強い風が、こちらに向かって吹き込んだ…。
墓地を背に、二人の兄弟がゆっくりと歩く。
「…フランツ、お前はこの後戻るんだよな」
「はい、時間頂いたの半日だけですから…。兄さんは、明日ですか?」
「いや、俺は2日半取ったから」
「えっ…聞いてませんよ」
「言ってないからなあ」
「…どうしてまた」
「ちょっと、行きたい所があって。ついでにな」
「…そうですか…」
「…ん?どうした?心配しなくとも、ちゃんと戻るって」
「…はい」
自分に向けられた兄の顔は、いつもと変わらない笑顔だったのに。
小さな不安が押し寄せて、フランツは上手く返すことができなかった。
「カイルさん」
「…フランツ。戻ったのか」
「はい。あの…」
「何だ?」
「カイルさんは…知ってました?兄さんが、休みを一日延ばしていたのを」
「!いや…そうなのか?」
「…帰りがけに、そう言われて。行きたい所があるからって…」
「……」
「その時の兄さんの様子が、いつもと違った気がして…何だか、心配なんです」
「…平気とは、思うがな」
「え?」
「フランツ、カイル」
「…!しょ、将軍!お疲れ様ですっ」
「お疲れ様です、ゼト将軍」
「ああ。フランツ、じきに午後の訓練が始まるぞ。行ったほうがいい」
「あ、はい、そうですね…では、お二人とも失礼しますっ」
「……」
「カイル。お前が望むなら、許可を出すぞ」
「…将軍…。将軍は、知ってらしたんですね」
「申請は私にくるからな…。今、お前が考えたであろう事を私も感じたから、許可を出した」
「……だから、私に…特別許可を出すと?」
「ああ」
「…………」
(…やはり、ここか…)
自分の勘が外れていなかったことに、カイルは少し安堵した。
闇の中、仄かに光が漏れる小さな小屋。
れっきとした彼の家の所有だが、この場所を覚えているものは少ないだろう。
幼かったフランツなどは、きっと忘れている。
そして、フォルデがここを気に入って、アトリエのように使っている事を知っているのは多分、自分のみ。
(……あいつが絵を描くこと自体、知る者はほとんどいないからな)
カイルは扉の目の前に立ち、聞こえるように大きく音を出した。
「フォルデ、いるか」
返事はない。
試しにノブを回す。鍵はかかっていなかった。ひとつ、溜め息をつく。
「…フォルデ。入るぞ」
もう一度声をかけてから、カイルは扉を開けた。
「……」
ワンフロアに散乱した紙の中心で、むくりと半身を起こした相手は、
「…よ、カイル」
そう言ってヘラと笑った。
「…お前……不用心だぞ」
その有り様に複雑な思いを強くしながらも、カイルは溜め息とともにそれだけを言って、部屋に踏み込んだ。
「…やっぱ、来るんだな。今年は…わざわざこんな所まで」
予想していたとでもいうように、フォルデは笑みを浮かべたままに言った。
…命日の翌日に、二人で酒を飲むのがいつの間にか恒例になっていた。
それで少しは気分が晴れるだろうと、カイルが誘ったのをきっかけに。
だからその、翌日にあたる今日、もしかしたらと思っていたようだった。
「……。フランツが、心配していたぞ。様子が違う気がしたと」
「…そっか…」
「確かに、今年は特に滅入っているようだな…」
「ま、ちょっとな…」
「……」
多くは語ろうとしない。それを無理に聞き出すのも野暮だ。
(一人で消化しようとして、こうしているんだろうが…)
自分はどうしても、おせっかいが出てしまう。
「…簡単なものを作るから、食べろ。どうせロクに食べてないんだろう」
「え、お前が作ってくれんの?」
「何か問題か?」
「いや、全然。そう言われると腹空くな〜」
「その間にお前はここを片付けろ。紙と道具はまとめて、ゴミは捨てる。いいな」
「はいはい、分かりました」
「うん、うまいよ」
「そうか。まあお前ほどではないが…一人になると必然と覚えるものだな」
「正直、料理は面倒くさいけど、やんなきゃいけなかったからな。今は食堂でありつけるから、有り難いね」
「そうだな」
他愛もない話をし、酒を飲みながらゆったりと食事を取る。
静かな部屋に、声がかすかに反響する。
それがひどく近く聞こえて、感覚がおかしくなりそうになった。
(…こいつがまた、妙な雰囲気を出すからな…滅入ってる所為で)
目の前の相手をじっと見ながら、カイルは思った。
(こんな状態で、明日元に戻れるのか?)
「…どうした?止まってるけど」
「あ、ああ…。そんな調子で、明日平気なのかと…」
「…平気さ。こうやって、お前も付き合ってくれてるし」
「…そうか」
少なくとも、自分がここへ来たのは良かったらしい。少し軽くなった。
(…現金なものだ)
自嘲していると、フォルデがポツリと呟いた。
「…何年経ってもしがらんで…どうしようもねぇな」
「……フォルデ…」
「や、馬鹿な愚痴言った。忘れ」
「こんな時まで取り繕うな。それに俺は、それを決して悪い感情ではないと思っている」
「……」
「お前はもっと…抱え込まず口に出した方がいい。…俺相手、なのだから…今更ごまかすことなど…」
「…分かってる。それはつい、クセだ」
「……」
「ついでに言うが…お前相手だから、これでも随分…ボロも出やすいし、調子も狂わされてるんだけど」
「それは普段の俺の台詞だ。お前のお陰でどれだけ…」
言いかけて、ハタと止める。
(だったら構うなと言われそうだ…)
チラと伺うと、フォルデは目を細めて笑みを浮かべていた。
「その先は?」
「……もういい」
「うん。だから…十分、俺はカイルに救われてんの」
「…な…」
唐突で、面喰らった。
「……照れた?」
「…っ…言うな」
「俺もちょっとハズかった」
「…………お前、酔ったか?」
「正気のつもりだけど…気持ちはいいかも。なんせ昨日から飲みまくりだからなぁ」
「そうだっ…お前昨日も…今日は切り上げた方がよくないか?いくら強いといっても…」
「ん〜…あと少し、な」
フォルデは片目をつぶって、悪戯っぽく笑う。
今のカイルに、その懇願を強く却下することはできなかった。
「……仕方ない…」
「お前は、先に休んでもいいんだぜ」
「そんな事をしたら止められなくなるだろう。付き合うさ」
「けど、明日…」
「問題無い。戻る時間はお前と一緒だ」
「え、それって」
「そういう事だから、気にするな」
「……そう、か。…じゃ」
ス…とグラスを掲げる相手に、笑みを浮かべて応じた。
「…乾杯」
それから、どれだけ経っただろうか。
「…あ、なくなった」
グラスの半分で空になったワインボトルを置いて、フォルデは小さく息をはいた。
「…丁度いい。それで…もう終わりだ」
「…え〜…」
「…じゃないだろう…十分、眠れるハズだ」
(…そろそろ…俺まで眠ってしまいそうだ)
一晩でこれだけ飲んだのは、初めてではないだろうか。
「……」
フォルデは黙ったまま、半分赤ワインの注がれたグラスを口に運んだ。
「フォルデ」
彼の横に移動して、カイルは咎めるように強く名を呼んだ。
「…ん〜何か…口寂しいんだよなぁ…何だろ…」
「…あのな…」
「…あ、じゃあ…キスでもしてくれる?」
「!」
横目でこちらを見ながら、フォルデが言った。
「そしたら…埋まるかな」
すぐに視線を外すと、ポツリと付けたす。
「……」
気怠げに笑みを浮かべた表情。多分また、気紛れで言ってみただけなのだろう。
(……だが…もしかしたら…)
「…なんて、な…」
少しの間の後、そう言って再びグラスに手を伸ばすフォルデの腕を、カイルは途中で掴んだ。
「…え…」
そのままグイと引っ張り顔をこちらに向かせて、唇に触れた。
「……」
フォルデに拒むような動きはなかった。逆に反対の手が、カイルの腕に触れてきた。
どちらともなく口が開き、それから深いキスが交わされた。
妙に心地好くて、離れ難かった。
「………っん」
フォルデの小さな呻き声でハタと我に返り、カイルはゆっくりと離れた。
互いの息の音が、静かな室内に微かに響く。
(…っ…な…)
相手の表情に目を奪われている自分に、動揺した。
ゆっくり瞼を開いたフォルデが、口を開く。
「…まさか…本当にするとは思わなかった…」
「お前が、すれば酒をやめると言ったからだ」
「…だからって…どこまで真面目に取るんだか…」
「…冗談半分だとも思った。だが…何故か…身体が動いて…」
「……へえ?」
「い、いや…だから…そう、お前の纏う雰囲気が変わらないから…どうすれば、浮上してくれるのかと」
「……」
「心配…なんだ、フォルデ。俺は、お前を、放っておけない」
「……」
「そんな、衝動…だ、今のは」
「……お前も酒、まわってるだろ…」
「……それもあるかも知れんが…お前ほどじゃない」
「…そう、か…だから、密着してて、こんな気持ちがいんだな」
「……っ…」
フォルデはそう言って、こちらの肩にトン…と頭を寄りかからせた。
また、心臓の鼓動が早くなる。
「…フォ…ルデ…」
「…どうして…」
「え?」
「…お前はそう…俺の均衡を崩すんだ…」
「……」
「その手に…甘えたく、なるだろ…」
「だったら、そうすればいい」
カイルは言葉に押されるように、相手を緩く抱き締める。
「こういう時ぐらい、寄りかかればいい」
「……じゃあ…少しだけ…」
「……」
密着した温もりが気持ちいいのは、カイルも同じだった。
(どうしたんだ…俺は…)
先程から、もっと触れたいという衝動が溢れて、心を締めつける。
(これじゃまるで…)
これも、酔いの所為なのだろうか。
…そういう事にして、自問をやめた方が、この際いいかも知れない。自分にとって。
そんな事を思いながら、数分が過ぎた。
瞳を閉じたまま動かない相手が気になり、カイルは声を掛けた。
「……フォルデ…?眠っているのか?」
「…いや……うん、大分落ち着いた…」
「…なら、ベッドで休むか?」
「そう……」
そこで中途半端に口を噤んだフォルデは、じ…とこちらを見返してきた。
「?どうし…」
「カイル……この際、さ。もっと先……快楽求めたり…しないか?」
「!!」
どういう意味か、理解してしまったことは、相手にも伝わったようだった。
フォルデは目を細めて薄く笑った。…誘うように。
動揺に、鼓動が激しく動く。
「…し、しかし…」
「…解ったってことは…気持ちは同じ…なんだろ?」
「…人が…抑えてるというのに………あ」
「そうなのか…?」
「いや…何というか…そういうんじゃな……っ!」
突然に抱きつかれ、言葉に詰まる。
「なら、この状態で眠りに落ちるんでもいい」
「…つまり、ひっついていたい、と」
「心地いいからさ…」
「……」
「お前の本音は…?」
「俺は……」
促されるままに、心が動くのを自覚する。
(この際、か…)
頭の片隅で復唱し、カイルはひっついたままのフォルデを強く抱き締め返した。
「……俺は…お前にもっと触れたいと……思う自分に動揺している…」
「…動揺か…そうだな、お互い変かも。酒の所為だろ」
「…まあな…」
(…そう逃げた方が、気は楽だが)
果たして本当にそれだけだろうか。
密着した身体から、相手の鼓動が伝わってくる。その早さは、自分と変わらない。
(ああ…同じだ)
カイルはフッと笑みが浮かんだ。
それは多分、自分にとっての決定打だったのだと思う。
「フォルデ…」
呼びかけると、フォルデは顔を上げてこちらを見た。
促すと、キスにも応じた。そのままゆっくり倒れる。
覆い被さった状態で、カイルは言った。
「お前の誘いに…乗ってもいいか」
フォルデは柔らかく微笑んで、溜め息のように返してきた。
「ああ…カイル」
(……)
カイルは、外の明るさに目を覚まして…すぐにハッとした。
(…今何時だ!?)
半身を起こし、慌てて時計に目をやる。
午前9時。全く余裕だったことを確認し、ホッと息をつく。
お陰ですっかり目が冴えた。
(我ながら、しっかりしてるものだ…。昨日あれだけ飲んで、しかも)
そこまで考えて、ハタと止まる。
(…そうだった…)
思い出して羞恥心が湧き、思わず口元を押さえる。
(…駄目だ…あまり思い返すと、隣が見れなくなる…)
一息ついて落ち着かせ、自分の隣で眠るフォルデの様子を伺った。
規則正しい寝息と、穏やかな表情。全く起きる気配はなかった。
(どうやら、大丈夫そうだな…)
カイルはフッと笑みを浮かべて、片手で微かにフォルデの髪に触れた。
(……あんなに、心地好いとは思わなかった…。こいつの、あんな表情も…声も…)
「って、だから何を…」
手を引っ込めて、緩く頭を振る。
「…起きるか」
カイルは隣を起こさないよう、そっとベッドから抜け出した。
約一時間後。
馬の世話をして外から戻ると、フォルデがベッドの上で半身を起こしていた。
「フォルデ、起きたか」
「…カイル…お早う」
「お早う。丁度、起こそうかと思っていたところだ。…気分はどうだ?」
「…ん…眠くてボーっとしてるけど……ダルくはない」
「…お前もか…」
「え…?」
「…いや」
自分より数倍は飲んでいたであろうフォルデまで、二日酔いでないとは。
(…まあ、滅入った気分も飛んだようだから、良かったことではあるんだがな)
「なら、シャワーでも浴びればすっきりするだろう」
「…ふぁ…分かった」
フォルデは欠伸をしながらのろのろとベットから這い出し、ゆっくりとシャワールームへ向かっていった。
溜め息ひとつで見送って、カイルはキッチンへと足を向けた。
「…フォルデ。すっきりしたか?簡単にだが、朝食を用意したから食べろ。あまり腹は減っていないかもしれんが…食べないで午後は乗り切れないだろうからな」
フロアに戻ってきたフォルデをチラと確認して、カイルは作業をしながら声をかけた。
テーブルに食事を運び終え、何の返答もない相手を怪訝に思って顔を向ける。
「フォルデ?」
濡れた髪にタオルを被せた彼は、じっとこちらに視線を向けたまま動かない。
「どうした…まだ寝ているのか?」
「……」
「…それとも、どこか気分でも…?」
少し心配になり、カイルは近づいてフォルデの顔色を伺いながら言った。
「…カイル…」
「何だ?」
「……お前…かいがいしいな」
「……は?」
「や、ちょっと……今見てたら急に色々思い出して。昨日から…俺の世話焼きっぱなしだから、お前」
「……」
「今も、心配したろ?」
「……お前なあっ…」
「待てって」
あまりの言い様に、カイルが声を荒げ言い返そうとすると、逆に鋭く止められた。
フォルデは一呼吸置き、一転して静かに言った。
「だから……ホント、ごめんな」
「…っ!」
「こんな奴、放っておけばいいのにさ…人が良すぎるって」
少し俯いた顔は、自嘲気味に…切なく笑っていて。
カイルは顔を歪めて、拳を握りしめた。
「…っ…俺は…」
(それはお前だから……だから見ぬ振りなどできないのに)
「…ありがとう、カイル。お陰で、今凄く気分が軽い」
「……フォルデ…」
それは屈託のない、晴れやかな笑顔だった。
あまりにも胸に突き刺さって、咄嗟には何も言えなかった。
するとフォルデは肩をすくめて、付け加えた。
「…もう、大丈夫だから、さ」
「……ああ、そのようだな」
カイルにも、自然と笑みが浮かんだ。
「さぁって。飯食って戻らないとな〜」
被せたタオルでわしゃわしゃと髪を拭きながら、フォルデは朝食の席に着いた。
「遅れるわけにはいかないからな…と、そうだフォルデ」
カイルは彼に習って席に着きながら、思っていた疑問を口にした。
「お前の馬がいないが…もしかして」
「歩いてきた」
「……ここまで結構距離あるよな…」
「ついボーっと歩いてたら…いつの間にか着いてて、苦ではなかったんだか…今思うと確かによく来たなあって感じだ」
「…まったくだ」
「そういった意味でも、お前が来てくれて助かったな」
「……」
「乗せてくれるよな?もちろん」
「……仕方ない…共に戻らなければいけないからな」
にっこり顔のフォルデに、カイルはそう言って小さく息をついた。
二人を乗せて、一頭の馬が走る。
「なあ…カイル」
「何だ?」
「…昨日のこと、後悔してないか?」
「!」
表情は分からない。が、背中越しに伝わる声は静かで、どことなく優しげだった。
だからカイルも、同じトーンで、しかしはっきりと返した。
「してないさ。……よかったし、な」
「!……そうか……俺もだ」
支えの為にこちらの腰に回されたフォルデの腕の力が、心なし強くなった気がした。
(やっぱり心地がいい…)
小さく沸き上がるこの気持ちが一体どんな感情なのか…判断はしかねるが。
「…また、しような」
「………はっ!?…なっ…フォルデ!」
「わっ…急に振り向くなよ、前前!」
「…分かってる!」
(どうしてそう、あっさり言ってくるんだ)
少し崩してしまったバランスを整えつつ、カイルは前方を見据えてポツリと言った。
「…ったく……本当にやるからな…」
「何か言ったか?」
「……何でもないさ」
fin.
ぶわ〜っと浮かんだ妄想を勢いにまかせて打ち出しました。は〜スッキリ。
……らしく聞こえるよう台詞回しに気を使ったつもりですがどうだろう…むむぅ。
なんせホント色々夢見過ぎですからね(ニコ)もうしょうがないね。
うちの二人のなれそめはこんな感じで。けど多分キスはこれが初めてではないな(笑)
…あとは肝心部分を暗転にしかできない自分の能力のなさに項垂れてみる。苦笑。
(2004.11.29)